大きくなったら、なにになりたい?将来の夢といまの私

小さい頃、大人に質問されて困ったものがある。 「大きくなったら、なにになりたい?」

それは人生を通して、自分が大人になっても、常に社会から問われるものであった。 今でも私は困り続けている。何になりたいんだろう。

小さいころの夢 – とりあえずいい大学に行く

「大きくなったら、なにになりたい?」その意味が「職業」であると知ったのは幼稚園か、小学生の頃だったように思う。そして私はそれに対する答えを持っていなかった。そのころ知っている職業がとても少なかったからだ。

お花屋さん。パン屋さん。ケーキ屋さん。花嫁さん…。べつにどれも好きではない。その中でも、花嫁さんが一番ピンとこなかった。花嫁という言葉がよくわからなかったからだ。

そんな私のもやもやを知らず、大人が何回も将来の夢を聞くもんだから――当時小学校2年生の時は勉強が好きだったので――「東大にはいる」と言ったら大層驚いていた。 私がなぜ東大を知っていたのかは不明。きっとテレビかなにかで知ったんだと思う。 部屋にあったボックスティッシュから一枚とりだして、えんぴつで誓約書を書いたら、ティッシュは当然やぶれた。

チラシの裏にボールペンで書き直した。あれは今、どこにあるのだろう。

10代のころの夢 – 漫画家、声優、言語聴覚士

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10代になっても、自分がなにになりたいのかはずっとわからないまま。

絵を書くのは好きだったから、漫画家さん? ちょうど10歳のとき、クリスマスに「つけペンセット」をもらった。案外、Gペンというのは描きにくい。 ペンが紙にひっかかって、全然上手に描けなかった。 つるつるしたチラシの裏に、ボールペンで描いたほうがずっと描きやすかった。

16歳くらいのとき、ようやくまともにペンとケント紙、スクリーントーンを使って漫画のようなものを描くことができるようになった。でも、お話が全然作れないので、漫画家ってむずかしそ〜。と、思っていた。 その時も、絵ってコピー紙に激細ボールペンで描いたほうが全然楽じゃーんと思っていた。

時は並行して、中学生からアニメにめちゃくちゃハマった。私は自分の声が嫌いだったから(いまも嫌いだ)、声優さんになれたら自分の声でもどこかに需要があるんじゃないだろうかと思って、専門学校の資料を取り寄せるところまでは行った。周りからの反対がすごくて、やめてしまった。

またまた時期を同じくして、とても影響を受けた知人がいた。その知人がきっかけで言語聴覚士という職業を知って、それを目指してみようかな?とも思った。これは、その知人自身に「やめろ」と言われてやめてしまった。 言われてやめたら、「自分がない」と言われてしまった。

「大きくなったら、なにになりたい?」その質問に答えようとしても、反対されるなら、どうしたらいいの?

同じくその頃、私はホームページを作るのにもハマっていた。 インターネットがちょっと一般的になって、パソコンもじわじわと普及していた。スケルトンのiMacが一世を風靡していた。 インターネットに触れた私は大変感動し、人が作ったホームページやチャットを楽しんでいた。 ある時、それが自分でもできるかもしれないということを知り、独学でコソコソ作っていた。 「ホームページを作ること」これは、その時職業としてはまだレアだったと思うので、自分でも「大きくなったら」のうちには入らないと思って、誰にも言わなかった。だから、誰にも否定されずに楽しい趣味として続いていた。メモ帳は、思い出のアプリケーションだ。

このように、10代のころというと、いろんなことが同時に起こっていた。たくさんの、ひとつに絞ることもできない可能性や夢のはじっこみたいなものが、それこそ糾える縄のごとしという風に絡み合っていた。

20代のころの夢 – イラストレーター?

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この記事を書こうとして、ふと思い返すと、20代のころからの「大きくなったら、なにになりたい?」という「将来の夢」が列挙できるほど思い出せない。いつの間にか大きくなってしまって、いよいよ、なにかにならなくてはいけない年頃になったのだろう。

高校に行ったあとは、美術系の大学に行こうとしたものの、高校で遊び呆けたツケがまわって学科試験で落ちた。 そして2年ほど、パソコンを使ったアルバイトにうちこんだ。やっぱり私はパソコンが好きだ。飲食店のバイトでは、怒られてばかりだったけど…、パソコンを使って仕事をしているのって褒められる。めちゃいいじゃん、と思っていた。でも、その会社で正社員になる道はなかった(大学を出ていないといけなかったので)。 なので「アルバイトはいいとこできりあげて、なにか正社員にならないといけない」そういう雰囲気が人生に漂っていた。

結局、私はその雰囲気から逃げるように専門学校へ行った。選んだのはイラストレーション学科。同じ学校に「Webクリエーター学科」というのもあったが、選ばなかった。美術系の大学に行こうとしていたから、自分のメインコンテンツは絵であるという先入観があった。

しかし、専門学校を卒業する頃には、私はWeb制作をしたり、ネット通販を運営する会社でアルバイトをしていた。イラスト関係でアルバイトというのは少なくて、一方でWeb制作会社やネット通販のアルバイトの募集がだんだん増えていたので、そっちに向いていった。

結局パソコンで仕事をするのが性に合っていたのか、そのままそこで就職。さて、「大きくなった私は、パソコンを使った仕事をする」に、いきなりたどり着いてしまった。卒業するときに「これならWebクリエーターのほうがよかったんじゃない?」と言われて「ほんまやね」と返したことが忘れられない。

そして趣味だったはずのWebの世界が自分の中心になっていった。 結局20代は、ECサイトを運営する会社を中心に仕事をしていく。 ECサイトというのは、(他の会社もそうかもしれないが)会社に人が少なければ少ないほど色々なスキルを得ることができる。 店舗サイトの制作・運用だけではなく、写真のとり方。加工の仕方。キャッチコピー、チラシやパンフレットの作り方、そしてダンボール箱を早く組み立てることまで。一人で経験できたのは今思えばラッキーだ。 イラストレーション学科で学んだデザインの考え方やアプリケーションの使い方がのちのちの仕事に役立つので、これもラッキーだ。

イラストは私の人生の「大切な趣味」となり、今でも私の人生にそっと寄りそってくれている。 20代の私もまた、複雑に絡み合ったなにかで出来ていた。

30代の将来設計 – 何にもなれそうになかった

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20代後半で花嫁さんになることになった。子供の頃の夢候補、一つ回収。 さて、結婚をしていよいよ、どうごまかしても大人と言わざるを得ない人生に差し掛かる。

そして気づく。大人になってもまだ、「なにになりたい?」は延々と続く。周りや社会からの言葉が足元から這い上がる。 子どもは?家は買うの?今後のキャリアはどうするの? どうなっても、さらにその先なにになるのかを問われ続ける。終わりのない問いかけだとやっと気づく。

そしてそのまま、「なにになる」を見つけないまま、私は人生に足を引っ掛けて、大きな方向転換をすることになった。 病気による退職。療養を余儀なくされる。外出が怖くなり、フルタイムで、外に出て働くことが望めない状況が続く。 そんな私がとれた唯一の選択肢が、「家で、パソコンを使った仕事をもらう」だった。

結局、自分ができることを使って戦っていくしかない。ECの経験、デザインの経験、フルに使って、仕事をもらっていった。

5年ほど、いわゆる在宅でフリーランスを続ける日々が続く。 体調と相談しながら、療養をする時間が始まる。と言っても、その当時の私は療養とは思えず、長く暗いトンネルの中でひたすら足元の少し先をろうそくで照らすような毎日だった。

「大人になったら、なにになりたい?」 こうなっちゃったよ……。そう思っていた。

焦る気力もないまま、ずるずる歩いていた。癒えない傷はないというつもりはない。ただ、その時の私は、療養が効いたのか復調していった。復調するにつれて、ふたたび外に出て働きたい――もう一回正社員としてどこかの企業で働きたい。そういう思いが自然と出てきた。そう思えるほど、ゆっくり休ませてくれた夫には感謝の念でいっぱいだ。

私はいくつかの企業に履歴書を送る。ECサイトがメインだが、その中にはひとつ、Web制作会社も入っていた。 そういえば、と思い出したのだ。昔はホームページを作ることが好きだったなと。

メモ帳時代と、EC時代の簡易的なエディタしか経験がなく、未経験であった。しかし、それはさておいて、好きならなんとかなるかもしれない。そういう、いまだかつてないポジティブシンキングによって、履歴書と職務経歴書、ポートフォリオを送るに至った。

その会社に、これまた運良く熱意をかってもらい、内定した。 こうして私の、2つめのキャリアがはじまった。

10代・20代の頃より、可能性の線はもしかしたら細くなっているかもしれないけど、色々な要素が絡み合っているのは間違いない。少なくとも、一本の線だけではたよりなくて渡っていけなかったのが私の人生だ。細い線をたくさん持つことで、バランスを保っている。 目の前に突如降りてくるさまざまな「何になりたい?」について、とれる行動をとってきた結果が今にある。 それはすなわち、その時できること、その時やってみたいことを常に選んでいたということだ。

40代のいま – とりあえずやってみる

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そして今、いろいろを経た結果、mgnで働いている。もちろん、日々の中でのアップ・ダウンはあるものの、概ね元気で、とても良い同僚や上司に恵まれている。 それでもゴールはなくて、「なにになりたい」には終わりがない。 いまでも、「なにになりたい?どうしたい?」と問われると困ってしまう。小さなことから、大きなことまで。会社に入ったとして、職能という意味で問われることもある。 日々社会から、そして自分から問いかけられる。

今できることをやるしかないと前段で書いたが、本当にその通りだ。目の前にふりかかってきたことに挑戦したり、できそうなことをやるしかない。しかし、できること・やりたいことをやっていくうちに、可能性を増やすことはできるのかもしれない。

今の私は趣味でパンも焼くし、家に花を飾ることもある。漫画も書いたことがある。花嫁にもなったし……ケーキは焼いたことがないけど……そしてパソコンが大好きで、パソコンやスマホを使わない日は1日もない。デジタルを通して世の中とつながることだけは、この先も続くと思っている。

今振り返れば「なにになりたい?」は、仕事だけにとどまらないのではないか、と思う。 私は最初、「職業」だと思っていたが、「どう生きていきたい?」のほうが、ずっとしっくりくる。

いつまでも問いかけられるなら、いつまでも自ら増やせばいい。自分をとりまく可能性を、太い縄を編むように。

「なにになりたい?」 さあ、どうしようね。とりあえずやってみるよ。