固定観念としての「良い」働き方。わたしにとってのはたらきかた。

こんにちは!

mgnには「はたらきかたアクション」と名付けられた活動があります。はたらくLENSもその一環です。この記事では、なぜ行うのか、どういうことを行うのか?ということについて書きます。

なぜこの活動をするのか?

はたらきかたを共有することで、他者との違いや、多様なはたらきかたがあるということを知りたいと思ったからです。

また、みんなそれぞれにいろいろあるなと感じられることも、この活動をするうえでのひとつの楽しみになっています。

この活動の背景

はたらきかたに対する迷い

私は大体いつでも、自分のはたらきかたについて漠然とこう考えています。

  • 「もっとよいはたらきかたがあるんじゃないか?」
  • 「今よりももっとよくなれるんじゃないか?」

それと同時に、こうも考えています。

  • 「今の状態に満足できてない事こそが問題じゃないか?」
  • 「十分足りているんじゃないか?」
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特にこういった考えは、思うような結果が出なかったとき、うまくいかないときに余計にぐるぐると頭の周りを回ります。

迷わずに行動するための根拠を探す

この迷いに対して、次の行動に移すにしろ、そのままのはたらきかたを継続するにしろ、少なくとも次の行動を決定するための根拠が必要になります。私の場合、この根拠をみつける際に、これまでの経験、誰かや何かから学んだもの、どこかで見聞きしたものなどを利用します。

自分の手持ちの引き出しには限界があるので、足りないと感じた場合は、何かしら参考になるようなものを探します。手近なところであればSNSやインターネットで手軽に調べられます。最近はAIに悩み相談もできます。本もたくさん出ています。

固定観念としての良い働き方

そこで出てくるのが、今回のテーマに含まれる「固定観念としての良い働き方」です。特にどれがどうという限定的なことではなく、漠然と「こういう働き方がいいよね。」と一般的に言われてそう。と感じる。そういう働き方を今回の便宜上「固定観念としての良いはたらきかた」としてみました。

固定観念としての良い働き方にフィットしないときにどうしたらいいのか?

そしてやっと本題です。この「固定観念としての良い働き方」が自分にフィットしない場合に、それはただの面倒なものになったり、異なるはたらきかたを否定するようなものになります。

そもそも、自分のはたらきかたの次を判断するための根拠を探していたはずなのに、気がついたら、その結果よけいに悩みが増えてしまうことになります。

わたしにとってのはたらきかた

では、どのようにしたら、はたらきかたについて次の判断をするための根拠がつくれるでしょうか。それを考えたときに登場するのが、「わたしにとってのはたらきかた」です。これには「良い」という言葉もついていません。とても個人的な単位での働き方です。

「わたしにとってのはたらきかた」は多様で、自由だと考えています。そして成功や美しいといった片方に倒れるものでなく、つねに失敗も、汚いも含む、現実のはたらきかただとも考えています。

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ただ、そこに”わたしにとって”がつくことで、納得があります。そして、それを受け止めたいという気持ちや願いがあります。

他者のはたらきかたを取り入れる

固定観念としての「良い」働き方。でなく、「わたしにとってのはたらきかた」それをみつけるための方法の1つに、「他者のはたらきかたを聞いて、自分なりに取りいれる」ということがあると考えています。

それぞれのはたらきかたを聞いて取り入れ、自分と比べることで、聞く前よりもわたしにとってのはたらきかたが見つかることを期待しています。

他者とはたらきかたを共有する

もう一つは、自分のはたらきかたを他者に共有することです。共有することで自分のはたらきかたを改めて見つめ直すキッカケになります。またその共有によって生まれる気持ちのやり取りにも、わたしにとってのはたらきかたを見つける、良い影響になると考えています。

いろいろなはたらきかたを切り取っていく「はたらくLENS」

「わたしにとってのはたらきかた」それが文章としてたくさん集まっているのが「はたらくLENS」です。世の中と同様、mgnにおいてもはたらく人の背景はそれぞれ。そんな多様なひとたちが、どうはたらいているのか。あるいはどう休んでいるのか?どう生きているのか。そんなことをひとつひとつ切り取ってまとめたのが「はたらくLENS」です。数多くある「わたしにとってのはたらきかた」をこれからもシェアしていこうと思っています。読んでくださった方になにかおみやげを持って帰ってもらえるような、そんなメディアでありたいな、と思っています。